小笠原和彦のリアル・空手バカ一代! 「ボクは“やっちゃっていいよ”組なんです」

極真空手時代は“足技の魔術師”として恐れられ、全日本選手権や世界大会でその名を轟かせた小笠原和彦。橋本真也率いるゼロワンに殴りこみをかけて以降は、多くのプロレス団体のリングで危険な戦いを繰り広げている。現在55歳の小笠原先生だが、いまだ闘志も肉体も衰えていないのだ。今回のインタビューでも“スレスレのプロレス”について踏み込んで語ってくれた!

 

 

――小笠原先生が橋本真也戦でプロレスデビューされてからだいぶ経ってますよね。


小笠原 もう12年目になりますね。


――デビューしたのが43歳で、この歳まで戦われてるのは凄いですよねぇ。


小笠原 いまでもガンガンやってますよ! 去年は元キックのミドル級7冠王の我龍真吾くんとばっかやってたんですけど、彼はプロレスができないからガチンコでやってくるんですよね!!


――ガ、ガチンコですか!


小笠原 プロレスにはいろんな種類の試合があるじゃないですか。途中からガチンコになる場合もありますし、何が起こるかわからないんですよね。

――プロレスに慣れてないとなおさら読めない試合になりますね。

小笠原 彼にはプロレスを覚える前にプロレスを好きになることをアドバイスします。ボクはプロレスが大好きなので必死に身につけました! 12年前に橋本真也さん、藤原喜明組長とよく3人で6人タッグ組んだとき、組長が「俺はプロレスをやり続けたいから関節技に集中したんだよ!」と。ボクはその言葉に感動し、頑張り一からしごいてもらい、極真を忘れてプロレスに没頭しました。


――誰でもプロレスのリングに上がれる時代だからこそ覚悟が必要になってくるんですね。

小笠原 いまの時代っていろんな連中がリングに上がるでしょ。プロレスをよくわかってなくて鉄柱におもいきりぶつけてくる奴がいるんですよ。もう頭にきて、後ろ回し蹴りでぶっ倒してやりましたけどね。


――先生も相当、危険ですね(笑)。


小笠原 いやいや、そういう奴は試合中にずっと寝かしておかないとマズイから。このまま立たせていたら危ないと思ってね。だってプロレスができないと危ないですもん。


――それってつまりKO状態に追い込むわけですよね……。 


小笠原 ボクはそれが許されている選手なんですよ。


――そんなライセンスがあるんですか!(笑)。


小笠原 はい。


――「時と場合によってはやっちゃっていいよ」ライセンスというか……。


小笠原 そうそう、ボクは「やっちゃっていいよ組」なんで。


――「やっちゃっていいよ組」! ほかのメンバーもぜひ知りたいですね(笑)。
 

小笠原 それはグレート・カブキさんもアメリカでやってたと聞きましたよ。昔のアメリカにはアマレスやボクシングやってた奴が挑戦に来るらしいんですよ。「チャレンジャー」というんですけど、いまでいう第0試合でカブキさんが相手をして。チャレンジャーなんてのは一流の奴は来ないんですよね。自分の名前を売りたいだけだから。


――腕を買われたポリスマンが相手にするわけですね。


小笠原 どうもカブキさんの話を聞くかぎり、大山(倍達)総裁もアメリカでチャレンジャーの相手を任せられてたんじゃないかなって。それが伝説になっていったわけですよね。


――小笠原先生の場合はプロレスラー同士でも“冷たい試合”になるわけですね。


小笠原 いっぱいありますよ。相手が試合中に切り替わっちゃうんですよねぇ。みんな途中からガチンコになっちゃうんですよ。


――もしかして小笠原先生のプロレスがハードだからでは……?


小笠原 ああ、それはUファイルの奴も言ってましたね(苦笑)。


――ですよね(笑)。


小笠原 言っていたのはUファイル最強の佐々木恭介なんですけど。「みんな、なんでやってくるのかなあ……」って聞いたら「先生にやられると思うからやるんですよ!!」って。


――ハハハハハハ! 先生はそんなつもりはまるでないんですよね?


小笠原 ないです、ないです。ちょっと蹴ったり、殴ったりするとアバラが折れちゃうんで……。


――ファッ!? そりゃみんなカチンときますよ!


小笠原 そんなにやってないと思うんだけどなあ……。


――ひえ〜(笑)。もともとは極真空手で“足技の魔術師”として名を馳せた小笠原先生ですが、プロレスのリングでこんなふうに活躍されるとは想像していました?


小笠原 というか、理想がこうだったんですよ。いろんな人たちと戦えると思って極真空手を始めたんで。でも、全日本選手権で勝っちゃったんで、そういうわけにはいかなくなって。あの頃の極真の人はたいていそうじゃないのかな。極真には東孝というボクの先輩がいたんですけど。


――大道塾の東先生ですね。


小笠原 東塾長も同じことを言われてたんですよ。東塾長が大道塾を始めたのは自然の流れで、本当は新日本プロレスと戦うつもりで極真をやっていたのに競技に押し込まれてしまった、と。ボクも空手家に憧れていたわけじゃないんですよ。モハメド・アリのファンだったんですよ。あの時代で格闘技といえばモハメド・アリに決まってますよ!


――ボクシングに向かわなかったのはどうしてなんですか?


小笠原 地元が静岡だったんですけど、ボクシングを習う場所がなかったんですよ。で、真樹日佐夫先生の通信空手を始めたんですよね。真樹先生には極真に入ったあともいろいろとよくしてもらいましたよ。


――どこか道場に通われたんじゃないんですね。


小笠原 なぜかというと、本を読んだりして見聞きするかぎり、自分でシステムを考えて練習したほうが強くなると思ったんですよね。それにさっきも言いましたけど、極真空手どうのじゃなくて、こういう世界に入れてくれるんじゃないかと思ったんです。


――当時は『四角いジャングル』全盛時代ですもんね。


小笠原 猪木さんとウイリー・ウイリアムが異種格闘技戦をやったじゃないですか。ボクはまだそのとき極真じゃなかったし、プロレスファンでしたからアントニオ猪木を応援していたんですけど。あのとき長州さんや藤波さんが猪木さんのセコンドについていたじゃないですか。あの身体の厚み。もう基礎体力のバケモノですよ! 普通にやったら殺されちゃいますよね。


――たしかに極真側とは身体のサイズが違いましたねぇ。


小笠原 真樹日佐夫先生に聞くかぎり、あの試合は本当は2戦やる予定だったんですよ。東京で1戦、大阪で1戦。でも、相手に華を持たして終わるのがプロレスのシステムじゃないですか。大山総裁はプロレスのシステムを知ってるから、このままではウイリーがやられちゃうと考えて1戦で引いたんですよ。あの1戦だけで極真の知名度は上がりましたからね。


――猪木vsウイリーって「プロレス内格闘技」でしたけど、周囲が本当に殺伐としてましたよね。みんなガチンコだと思い込んでいて。


小笠原 真樹先生も何があってもいいように足にガムテープに巻きつけて会場に乗り込んだみたいですからね。極真側で内実を知っていたのは大山総裁、梶原一駒先生、大山茂師範くらいみたいですよね。

 

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