謙吾ロングインタビュー 「スーパールーキーが見たリングスvsパンクラス仁義なき戦い」

190センチ、105キロという日本人離れした体格に、大東文化大学ラグビー部主将という肩書を引っさげてパンクラス入り。21世紀最後の大物新人とデビュー前から話題になった謙吾。格闘技がギラギラしていた時代を知る男は何を見ながら戦っていたのか――前田日明襲撃事件も語る過激な13000字インタビュー!

 

 

――パンクラス関連だと社長だった尾崎(允実)さん(http://ch.nicovideo.jp/dropkick/blomaga/ar613256)にも取材してるんですよ。


謙吾 へえ。生きてるんですか?(笑)。


――生きてます!(笑)。いまはイベント関係のお仕事をされてるようですけど。


謙吾 怪しい仕事をしてるとは聞いてますね(笑)。何が怪しいかはよくわからないですけど。


――謙吾さんはいまはどんなお仕事をされてるんですか?


謙吾 イングラムという会社で仕事をしてるんですけど。そこの社長さんはボクの現役時代から応援してくださっていて。格闘技をやめたあとは何も考えてなくて、半年間くらいプラプラしてたんですよ。


――何もあてはなく引退されたんですね。


謙吾 とくになかったすね。先輩が飲食をやってたからそこでバイトをしようかな〜くらいのノリでいたんですけど。イングラムはブランドやキャラクターの版権管理、ライセンスビジネスをやってる会社で。その頃にWWEジャパンと仕事する話があって。で、ボクはプロレスには詳しいというか、業界にいたから(笑)。


――立派な業界人ですよね(笑)。


謙吾 ガキの頃からプロレスは好きだったし、「担当でちょっとやってみる?」という話になって。WWEのライセンスの営業すよね。アパレルメーカーやブランドのコラボ、そういう仕事をやり始めた。たとえばリバサールのロード・ウォリアーズTシャツとか。


――あのTシャツは謙吾さんの仕事だったんですか!


謙吾 そうっすよ。


――購入させていただきました(笑)。今回謙吾さんのことはMMAマネジメントをやってる石井文彦さんから紹介してもらったんですけど、石井さんとはどういうご関係なんですか?


謙吾 KIDやクレイジービーの連中と仲が良くて、家がジムに近いからよく使わせてもらっていて。石井さんはクレイジービーの選手たちのマネジメントをやってるじゃないですか。で、自分の会社も若い選手のマネジメントもやってるんですよ。それで石井さんと情報交換じゃないですけど、いろいろと話す機会があって。
 

――現役のときはいまの仕事に就いてることは想像してました?


謙吾 うーん。仕事を始めるにあたって、最後はアメリカにいたから、向こうの選手を日本に呼んだりとか、そういうことができる環境にいたから。まあ、格闘技をやめてから、社会の仕組みというものをおぼえましたね(笑)。


――現役中に社会を学べなかった(笑)。


謙吾 そうっすねぇ(笑)。お金の稼ぎ方や使い方も知らなかったですから。どんどん貧乏になっていた。最初が景気良かったから、俺は。ハッハッハッハッ!


――謙吾さんのデビュー戦のバス・ルッテン戦、チケットを買って武道館に見に行きました(笑)。


謙吾 ホントっすか。あれで10年食えましたからね(笑)。ムチャクチャなマッチメイクだったけど。あの当時だからできたという感じじゃないですかね。プロレスと格闘技が一緒だったというか、プロ格時代。いまはベツモノじゃないですか。


――いまはデビュー戦でチャンピオンをやることは考えられないですよね。


謙吾 デタラメっすよ(笑)。


――デタラメなデビュー戦(笑)。


謙吾 冷静に考えたらデタラメですよ。でも、本人は喜んでやってましたからね。勝ったらそのまま引退しようかとか考えてましたよ。ナメてますよね(笑)。


――ハハハハハハハハハハ! 


謙吾 最初は海外のケージの大会に出るって話もあったんです。それがなくなって日本武道館で相手がバス・ルッテン。「マジっすか?」って。イヤな「マジっすか……?」じゃなくて、テンションの上がる「マジっすか!?」(笑)。


――ノリノリだったんですね(笑)。


謙吾 試合前日かちょっと前に船木さんに呼ばれて。リングの上でスーパーセーフをつけて「いまからおもいきり掌底で殴るから全身に力を入れろ」って。


――試合間近なのに!(笑)。


謙吾 何発か殴られて「まあ、衝撃はこれくらいだな」って。それはおぼえてるなあ。試合のことはおぼえていない。3回倒されてKO負け。1回目に倒されたときが一番効いてるんですよ。倒れたときにちょうどレフェリーの梅木さんが割って入ったんですけど、自分の頭に梅木さんの足が当たって目が覚めて(笑)。


――ホントはそこでKOだった。


謙吾 あれで終わってたかもしれない。それはそれで目が覚めたからよかったですよね。そのあと2回倒されて盛り上がったから(笑)。


――それで謙吾さんといえば、ラクビー出身ですけど。大東文化大学ラグビー部のキャプテンまで務めて。


謙吾 ラグビーブーム、きましたねぇ。


――ラグビーワールドカップで日本代表が南アフリカに勝利したことは謙吾さんにとっても衝撃だったんですか?


謙吾 考えられないですよ、日本代表が南アフリカに勝つなんて。自分がデビュー戦でバス・ルッテンにKOして勝つくらい考えられない(笑)。


――あれまー(笑)。


謙吾 日本ラグビー協会の人たちも誰も予想してなかったんじゃないですかね。エディ(・ジョーンズ)や選手たちはその意識はあったんでしょうけど。現場の選手たちも最初は思ってなかったけど、エディがその意識を変えたんじゃないですか。


――高阪(剛)さんが総合格闘技の見地からタックルの指導してたそうですね。


謙吾 そうみたいですね。そこはラクビーに通じる部分はあるんじゃないですかね。トップリーグなどのチームにレスリングのコーチも来てる話も聞くので。あとはやっぱり意識的なところもあるんじゃないですかね。戦うスピリッツじゃないですけど。


――キモは戦うスピリッツですか。


謙吾 そこが一番じゃないですかね。格闘技ってそういう部分がないとダメじゃないですか。実際ラグビーって格闘技ですからね。軽トラがいきなり突っ込んでくるようなもんだから。俺なんて二度とラグビーはやりたくないですよ(笑)。


――軽トラが突っ込んでくるスポーツ(笑)。


謙吾 むしろ格闘技のほうがまだいいですよ。ラグビーはケガをするのが日常的というか、ヒザの靭帯を切るのがあたりまえ。チームで年に1〜2人は靭帯を切りますよね。両ヒザの靭帯を切る奴もいますよ。


――しかもケガはヒザだけじゃなんですよね。


謙吾 どこをケガするかわかんない。ラグビーは事故的なんですよ。格闘技は向き合って戦うじゃないですか。苦しくなったらタップできるし、まあKOの場合は仕方ないけど。


――ラグビーはすべてカウンターというか。


謙吾 そうそう。意識していない方向から100キロ以上の人間が突っ込んでくるから。それはアレっすよね。ヤバイですよね。


――ラガーマンは格闘技に転向しても強そうですよね。


謙吾 それはありますね。身体がでかくて、スピードがあって、スタミナもあって。身体能力は凄いっすよね。


――謙吾さんも身体はでかいし、運動神経は抜群だったんですか?


謙吾 いいほうだったんじゃないですかね。


――ラグビーは自分からやり出したんですか?


謙吾 そうっすね。小学生・中学生のとき夕方に『スクール☆ウォーズ』の再放送があったんで。それを見て洗脳されちゃいました(笑)。


――『スクール☆ウォーズ』は強いですよね(笑)。


謙吾 頑張ったのか、センスがあったのか、いい感じで県の選抜から高校の日本代表にも選ばれちゃって。高校も大学も推薦入学。そんなにお金もかからないから親には感謝されて。


――大学の頃は何キロくらいあったんですか?


謙吾 一番でかいときは105キロくらい。格闘技のときでも100キロくらいだから。


――やっぱりでかいですねぇ。


謙吾 でも、大学1年のときにヒザの靭帯を切っちゃって。リハビリして2年の秋に復帰したんですけど、3年の夏か秋にまたヒザの靭帯を切っちゃって。そこで手術しちゃうと4年のシーズンに出られるかどうかわからないから、手術しないでやってましたね。


――なんとかなるもんなんですね。


謙吾 なんとかするしかないですよね。日常生活もなんとかなったし、不安定な感じですけど、ラグビーもやってましたよね。切れたまんま格闘技にも行って。どんだけバカなんだよって(笑)。


――靭帯切れたままデビューですか!(笑)。


謙吾 いま思えば「なんでその状態で格闘技をできると思ってるんだ?」って話ですよ。若さって素晴らしいですよね〜(笑)。


――ラグビーもなんとかなったんだから格闘技もできるだろうって(笑)。


謙吾 だからルッテン戦のときは蹴れなかったんですよね。デビューして半年後には手術したんですけど。


――あのときの手術は格闘技のケガじゃなくてラクビー時代のものだったんですね。


謙吾 「デタラメじゃねーか!」って話ですよね(笑)。まあ、いい思い出だなあ。あと憧れのほうが強いからけっこうムチャしてやったんじゃないですかね。格闘技をやってみたかったから。


――でも、ラグビーの社会人チームからの勧誘も当然あったんですよね?


謙吾 はい。けっこう誘われましたからね。そうそうたる企業から。


――それは企業に就職してラクビーをするというかたちになるんですよね。


謙吾 いまはプロ契約の選手もいたり、契約のパターンにもいろいろあるみたいですけど。当時は15時、16時くらいまでは仕事をして、夕方からラクビーの練習するみたいな。普通のサラリーマンの給料に何万円かのラクビー手当がつく。チームの成績によってはボーナスも出たり。


――契約金はあるんですか?


謙吾 就職ですから、ないですね。プロ契約じゃないから。いまはあるのかなあ?


――ラグビーをやめたあとも会社には残れるんですよね。


謙吾 そうっすね。仕事ができなくても一生窓際にはいられるんじゃないですか。でも、仕事ができなくて精神的にやられちゃう奴もいますよ。先輩や後輩にもそんな奴はいた。大学卒業するのが22歳で、30歳くらいまではラグビーができますよね。仕事をちゃんとやっていれば会社でも出世できるけど、やってないとラグビーをやめたあとがつらいんじゃないですかね。


――出世も仕事もできないまま定年まで過ごすのは精神的にキツそうですねぇ。


謙吾 その代わり安定は手にできますよね。潰れるような会社じゃないですから、ラグビーチームを持ってる企業は。


――謙吾さんはその安定を選ぼうとは思わなかったですね。


謙吾 まったく。当時プロがあったらそっちに行ってたかもしれない。仕事をしたくなかったから。


――要はサラリーマンにはなりたくなかったということなんですかね。


謙吾 そういうことなんですかね。10代後半から、なりたい願望がパンクラスだったから。


――謙吾さんが大学生だったときに高橋(義生)さんと出会ったことでパンクラス入りすることになったんですよね。


謙吾 そうっす。“人喰い義生”が自分の人生を変えましたね。大東のラクビー部が打ち上げだ合コンだで使う焼肉屋が池袋にあって。そこの常務さんがラグビー大好きで、よくしてくれて。その店に高橋さんも日大のレスリング部の頃から来てたことで、たまたま紹介してもらって。そのあとも偶然会ったりしたんですけど、こっちは格闘技好きじゃないですか。パンクラスも見てるし。高橋さんがUFCに出る前かな。一緒に酒を飲みながら話をしてるうちに「俺もやりたいすね!」って。


――格闘技経験はなかったんですよね?


謙吾 ないない。


――ケンカは強かったんですか?


謙吾 どうっすかね。でも、身体はでかいしね。やられないから。


――ヘビー級のラガーマンにケンカを売ってるくる奴もいないでしょうし(笑)。


謙吾 そうなんですよ(笑)。「俺もやりたいっすね」「やるんだったら面倒を見てやるよ」「マジっすか?」って。20歳の頃からやる気でいましたから。


――両親やラクビー部の監督には話ずらいんじゃないですか?


謙吾 かあちゃんは反対してたかなあ。親父は諦めてたから。親父は学校の先生だったんですけど、放任主義で。ラグビー部の監督は、3年の終わりごろに「就職どうする?」って話になったときに「パンクラスという格闘技にやるのでラグビーは考えていないです」って。先生は「とりあえずいろんな企業から話が来てるから、一通り話を聞け」と。最初から全部断るつもりだったんですけど、さんざん接待受けて。うまいものも食べて、もう◯◯◯な接待も受けて(笑)。


――ハハハハハハハハハハ! さすが90年代、バブルですねぇ。


謙吾 いまはそんな接待はないみたいですけど。サプリメントをもらえるくらいじゃないですかね(笑)。


――サプリメントと◯◯◯じゃ天と地の差がありますよ!


謙吾 フフフフフ。凄いっすよね。


――パンクラスの条件は聞いてたんですか?


謙吾 高橋さんは「普通のサラリーマンより給料はちょっといいくらいじゃないか」って。実際はそこまでよくはなかったんですけど(笑)。


――パンクラスはそこまで待遇はよくなかったと聞きますよね(笑)。謙吾さんはパンクラスに入りたかったんですか? それとも格闘技をやりたかったんですか?


謙吾 強い男へのの憧れじゃないですかね、ただシンプルに。ガキの頃からプロレスが好きだったし。小学生の頃は猪木にホーガン。中学生の頃は三銃士、ジャンボ鶴田が史上最強の40代と呼ばれて。そこからU系のほうに流れていったんだけど。Uインターも見てましたし。


――パンクラスに入れるんだったら入っちゃおう!と。


謙吾 そうだったんじゃないですかね。入門テストもなかったし。自分が入ったことでパンクラスも話題になりましたよんr。


――謙吾さん、デビュー前に『週プロ』の表紙になりましたよね(笑)。


謙吾 ホントっすよ(笑)。どんだけ持ち上げられてるんだって。


――持ち上げられてることは意識されてました?


謙吾 チヤホヤされてるから嬉しかった……いや、調子に乗ってたなあ(笑)。


――ハハハハハハハハハハ!


謙吾 どうなんですかね。浮かれてる感じっすよね。


――入団前に船木(誠勝)さんに会われたんですか?


謙吾 パンクラスでNKホールでやったときに見に行って。試合後の控室で高橋さんから船木さんを紹介してもらって。船木さんが「そんな身体でサラリーマンをやるのはもったないよ。一緒にやろう!」と言われて「はい、考えます」とか言ったのかな。そのあとに「考えますじゃねえな」って思い直して、高橋さんに電話して「さっき考えますって言いましたけど、俺、やりますから」って。


――当時のパンクラスは東京道場と横浜道場に分かれてましたよね。


謙吾 分かれたばっかです。俺は船木会系高橋組なんで東京道場です。高橋さんの付き人枠。頭を丸めて、ちゃんこ番だ掃除だってやってましたね。
 

――同期は誰だったんですか?


謙吾 俺より前は石井(大輔)さんで、その前に超人がいて。


――ミノワマンですね(笑)。


謙吾 その上に渡辺大介さん、山宮(恵一郎)さん、國奥(麒樹真)さん。


――一番下が謙吾さん。


謙吾 まだ渡辺さんや石井さんは練習生で、美濃輪さんはデビューしてたけど、この4人で雑用を回してましたね。俺、ミノワマンにちゃんこを教わったんですよ(笑)。


――当時からミノワマンはヘブンな感じだったんですか?


謙吾 あの頃はパンク時代だから。赤い髪のときだから。


――あー、そうだった(笑)。


謙吾 練習生は半年間は外出禁止とかあったなあ。


――練習生時代はきつかったですか?


謙吾 いや、なんか楽しくやってましたよ。格闘技の技術をおぼえられるし、プロレスの新弟子生活できるじゃないですか。楽しくやってたのかな。あんまりつらい思いではないです。練習はきつかったですけどね。朝起きてメシ食って、9時10時くらいから練習生は補強トレーニングを1時間くらいやって。12時に先輩が来てスパーリングとか全体の練習。ちゃんこ番のときは補強だけやって買い出しに行って。練習が終わった14時頃にちゃんこを食うから。夕方は筋トレ、夜はP's LABの手伝いがあって。


――当時の練習はどんな内容だったんですか?


謙吾 スパーリングが多いですよね。極めあい、打撃の殴り合い。いまなら格闘技のジムで柔術とか習ってイチからおぼえていくけど。パンクラスはプロレスの流れだから、先輩たちに極められて極められておぼえていくみたいな。まず逃げ方をおぼえる。


――まだ昭和の新日本スタイルだったんですね。後輩は実験台というか。


謙吾 そうそう。そういった感じすよね。技術をイチから覚えていく感じではなくて、そういうもんだと思ってたし。で、ちょうどノールールが始まる頃でパンクラスもパンクラチオンマッチとかやってたじゃないですか。


――頭突きりの“なんでもあり”ですね。


謙吾 練習でグローブとスーパーセーフをつけて実践形式でやってたんですけど。おもいきり殴るからスーパーセーフが割れるんですよ(笑)。


――新弟子でも先輩を殴れるんですか?
 

謙吾 船木さん相手でもおもいきりぶん殴れるんですよ。でも、おもいきり絞め落とされる(笑)。それはそれで面白かったですね。


――当時の業界の噂で、入団したばかりの謙吾さんが船木さんをぶっ飛ばした……というのがあったんですけど。


謙吾 いや、それはないなあ。


――新弟子でも先輩を殴れるシチュエーションがあったから、そういう噂が流れてたんですね。


謙吾 都市伝説ですね(笑)。そのスパーのときはグラウンドで下になるのはダメってことで。下になったら殴られるじゃないですか。


――頭突きもあると断然、上のポジションが有利ですよね。


謙吾 だから下になると、船木さんと高橋さんがスタンガンでやってくるから。


――下になる罰がスタンガン!(笑)。


謙吾 スタンガンがイヤだから立ち上がれるというか。痛いんですよ、スタンガン(笑)。


――そりゃそうですよ!(笑)。でも、U系にも「下になるな」という考えが定着してきた頃だったということですね。


謙吾 じゃないですかね。船木さん高橋さんが中心になっていろいろと試行錯誤して。オリジナルといえばオリジナルですよね。


――しかし、なんでスタンガンなんてそんな物騒なものを持ってるんですか?(笑)。


謙吾 当時リングスと抗争してたから。


――あー、なるほど(笑)。


謙吾 街で前田(日明)さんと会ったときのためにというか。高橋さん、スタンガンのほかに鉄ヌンチャクも持ってたかなあ?


――橋本(真也)さんもそうでしたけど、男の子は武器を持ちたがるんですかね(笑)。


謙吾 なんか武器に憧れるんですかね(笑)。そうしたら尾崎社長も高橋さんの何倍の威力もあるスタンガンを買って(笑)。


――ハハハハハハハハハハ! 尾崎さんは実害があったからセーフということで(笑)。

 

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