デイブ・シュルツの親友が語る「フォックスキャッチャーの時代」/レスリング五輪銀メダリスト・太田章

実際に起きたレスリング五輪金メダリスト射殺事件を映画化した『フォックスキャッチャー』。アメリカ有数の財閥の御曹司ジョン・デュポンが私金を投じてレスリングチームを作るも、自らが雇い入れたコーチを撃ち殺してしまうという悲劇的な事件だ(逮捕されたデュポンは統合失調症と診断され、獄中死した)。レスラーの息遣いと御曹司の狂気がスクリーンから迫ってくるこの映画を語っていただく太田章氏(早稲田大学スポーツ科学部教授)は、レスリング競技でロサンゼルス五輪、ソウル五輪と2大会連続銀メダルを獲得した実力者。まさしく“フォックスキャッチャーの時代”を生きた男であり、デュポンの凶弾に倒れたコーチ、ディブ・シュルツの親友でもあった。

 

 

――太田先生の親友であったデイブ・シュルツ射殺事件を映画化した『フォックスキャッチャー』についてお聞きいたします。
 

太田 非常に難しい映画でしたねぇ。映画全体の出来は素晴らしいけど、焦点を当ててるのはレスリングというマイナースポーツでしょ。さらにレアにしようとして監督がいろいろと演出してましたよね。レスラーの歩き方、練習の仕方とかね。
 

――先生から見てもリアルな描写だったんですね。


太田 映画と同じく実際のデイブとマークは性格が対照的な兄弟で、2人揃ってオリンピックの金メダリストで仲がよかったんです。弟が兄をチーム・フォックスキャッチャーに誘ったことにより、兄が非業の死を迎えてしまったという。あの事件からだいぶ時間は経ってるんだけど、当時は本当にショックな事件でね……。インターネットが出始めた頃なので、情報はあまり行き渡りませんでしたが、日本のスポーツ新聞でもこの事件は大きく扱われて。どうも偏った男同士の愛があったというふうにも書かれたんですね。


――映画の中でも、ディポンとマークのホモセクシャルの関係性を匂わすシーンがありましたね。


太田 真夜中にマークとデュポンがレスリングの練習をやりながらハアハア言ってね。ジョン・ディポンにそういう毛があるんじゃないか、と。殺されてしまったデイブはそっちにモテるタイプじゃないんですよ。身体も筋肉質じゃないし。でも、マークは逆でね。デュポンが恋心を持ったマークには出て行かれて、とくに興味のない兄だけがコーチとしてデュポンのもとに残った、と。そこをメディアが面白おかしく書かれてしまったから。デュポンはお金はあっても友達もいない、親の愛も受けていない。孤独な男だったんでしょう。じつはシュルツ兄弟も幼い頃に両親が離婚していたので、いつもお父さんお母さんがそばにいたわけじゃなかった。2人で寄り添って生きてきたところはあるんです。だから孤独を抱えた男3人が主役の映画というわけなんですよ。
 

――先生はデイブのお葬式に出られたんですよね。


太田 デイブの追悼式に出るためにアメリカに渡りました。そこには彼らのお父さんお母さんも出席していたんだけど。お父さんはデイブのために自分で作った歌を陽気に歌ったり、笑いながら昔話をするんです。そうやって集まったみんなをなんとか笑わせようとするんですけど、逆にデイブの不在が明らかになってしまってよけいに寂しくなっちゃいましたよねぇ。今回の映画も見れば見るほど笑えないし、泣けもしない。自分の中では親友が突然亡くなったわけですからね。いまでも「いったい何があったんだ……?」という気持ちでいっぱいなんですよね。


――映画でもよけいな説明は一切省かれました。


太田 当時も何が起きたのかがわからないという声はありました。そのうえ日本ではアメリカ現地のニュース番組はどこも放送してなくて、NHKのBSで『ナイトライン』という番組を同時通訳で流してるだけだったんです。その『ナイトライン』でいかにジョン・デュポンが狂っていたかを報道してるんですよね。デュポンの従兄弟は言うには「彼は精神を病んでいた」と。「そばにいたあなたたちが気付かないと本人も気がつかない。先に警告していればこんな事件は起きなかった」とまで言うんですから。番組の司会の方も誰が悪いとか決めつけるじゃなくて「なぜこういう事件が起きたか」を必至に探ろうするんですけど、やっぱりわからないわけですよ。デュポンは愛国心からアメリカのレスリング協会に寄付をして、チーム・フォックスキャッチャーも結成しました。それなのになぜ自分のチームのコーチを殺すのか、と。


――太田先生もチーム・フォックスキャッチャーに行かれたことがあるんですよね。


太田 デイブの自宅に2週間くらい滞在しました。デュポンにも会って握手しましたよ。細くて、ふにゃっとした冷たい手でしたし、一度も目を合わせてくれなかった。嫌な感じはしたんですが、レスラーからすれば、チーム・フォックスキャッチャーは羨ましい場所だったんですよ。練習環境にも恵まれているし、無料であんなにたくさん部屋のある豪邸にも住めてね。


――そのうえ給料がもらえるわけですよね。


太田 生活の心配をすることなく練習ができるわけです。ただ、ディポンは気まぐれで「何時間以内に敷地から出て行け!」みたいなことを選手に突然言うんですって。そんなことをされるとコーチたちも困るんですよ。選手たちはお金が欲しいわけじゃなくて、純粋にレスリングがやりたいだけなんだから。コーチたちは「気分次第でクビを切ったりしてはいけない」とデュポンをなだめるんですけど、デュポンは言うことを聞かないわけですよ。そうしてるうちにレスラーやコーチたちがフォックスキャッチャーを離れていってしまったんですね。デイブも出ていこうとした矢先に撃ち殺されてしまったんじゃないかと言われてますね。


――絶好の環境を捨てたくなるほど、デュポンの性格は歪んでいたということですか。


太田 我慢すれば恵まれた環境にいられるんですけど、限界は限界だったんじゃないですかね。当時、デュポンと養子縁組をして彼の全財産を受け継ぐ約束?をしたというレスラーもいたんですよ。その人間も途中でいなくなってしまいましたから。


――全財産を受け継ぐ約束って……。
 

太田 91年頃の話ですけどね。そのレスラーはまったくの無名だし、レスリングの実績もなく全然強くなかった。レスリングが強くなりたくてフォックスキャッチャーに来た中のひとりでしたけどね。デュポンとそんな約束をしたので「ラッキボーイ」と言われてたんですよ。


――いったいどういう関係だったんでしょうかね……。


太田 ふたりのあいだにどういった“愛”があったのかはうかがい知れないですけどね。最終的にデュポンの全財産の8割をブルガリアのレスリング協会の会長が受け継ぎました。


――バレンティン・ヨルダノフですね。


太田 彼はフォックスキャッチャーのコーチだったんですけど、身元保証人がデュポンだったんです。デュポンが殺人をしようが何をしようがデュポンが身元保証人であるということで、デュポンが刑務所に入ったときも彼が必要な物をすべて用意して、身の回りの世話もしていたんですね。
 

――この映画にはMMAのシーンも何度か挿入されていますが、その意味がわからなかったという方が多いですね。


太田 あの映画だとマークがソウル五輪のあとすぐにMMAに出たことになってるけど。UFCが始まったのは93年からだからね。


――マークがフォックスキャッチャーにいるときにUFCが始まったことになってますね。
 

太田 レスラーたちがUFCぽい番組を見たことはあったかもしれないとは思いますけど、まだ始まっていないんだから。
 

――映画の中に、マークらチーム・フォックスキャッチャーのレスラーたちが、テレビでMMAイベントを鑑賞する場面がありましたね。「なんでレスラーがこんな試合に?」「金のためじゃないか」という会話もあって。映画のラストはマークがMMAのケージに向かうところで終わりますが、実際にマークはフォックスキャッチャーを離れたあとにUFCでMMAデビューします。対戦相手はゲーリー・グッドリッジ。映画の中にレスラーたちが眺めていたテレビ画面にも映しだされていたのもグッドリッジでした。つまり監督はフォックスキャッチャー以降のマークの人生も暗示したかったんでしょうね。マークは食うためにフォックスキャッチャーにも入るし、のちにUFCに出る。この映画は競技者としてどう食べていくかというテーマも内包されていたと思うんです。

 

太田 正直、当時は、レスリングで活躍してもなんにも残らないです。金メダルを獲ってもね。アメリカは日本より酷い扱いなんですよ。

 

【続きはこちら】

pagetop